音戸の瀬戸、音戸側の音戸大橋のほぼ真下に清盛塚があります。
もともと陸続きだった音戸の瀬戸は、平安時代の末期に平清盛が一日で切り開いたと言い伝えられています。当時、難工事を行う際には「人柱」による祈願の習慣がありましたが、清盛は人命を尊んで、代わりに経文が書かれた経石による祈願を行いました。清盛の没後、その功績を称えて供養のためにこの清盛塚が建立されたと言われています。
塚の中央にある高さ2mの石塔「宝篋印塔」、これがいわゆる「清盛塚」です。そして、その横には見事な枝振りの「清盛松」が立っています。
この塚は、音戸の瀬戸の海の中に建てられていて陸続きではないので、この中には行くことができません。すぐ前で見ることができるように海の上にテラスが作られています。
清盛塚
場所 広島県呉市音戸町鰯浜1丁目
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