原爆ドームは、旧、広島県産業奨励会館で、もともとは、商品の陳列館として作られました。被爆当時は行政機関や物資統制組合の事務所として使用されていました。
原爆ドームの場所は、平和公園内ではなく、元安川を挟んだ対岸になります。この写真は、ちょうど対岸の平和公園から撮ったものです。原爆ドームをよく見ると、中央部の丸い屋根の下の部分に構造物が多く残り、その両横が崩れた形になっています。原爆が爆発した時に強烈な爆風がほぼ真上から吹いたのですが、真ん中の丸い屋根の部分だけは風が曲がったため風圧が低くなり破壊されず、爆風の風圧をそのまま受けた両側の部分が破壊されたために、このような形で残っています。
ちなみにこの建物は、当時としては強度がかなり高くて、通常の爆撃には十分耐え得るものだったので、戦時中の行政機関が空爆を避けるために使用していました。こういったことを考えながら原爆ドームを見ると、原爆の爆風の威力がよくわかると思います。
原爆ドーム付近では、観光客の多い日にはボランティアの方がガイドをされています。ドーム周りを一周して探してみてください。
■相生橋
原爆ドームのすぐ北にある橋「相生橋」は、原爆の投下目標となった橋です。原爆ドームの前とその対岸の本川町までの東西方向がT字の上側で、その真ん中から南の平和公園に向かってT字型に架けられています。この珍しい形が空から見てわかりやすいことから、原爆の投下目標になったと言われています。現在の橋は、1983年に被爆時の姿を生かして架け替えられました。被爆時の橋げたは、被爆時に強い爆風で変形し、その一部が広島平和記念資料館に保存、展示されています。
写真は原爆ドーム前から相生橋を見たところです。手前に見える「相生橋」と書かれた石標のようなものは、2代前の1939年まで使用されていた橋の親柱です。現在の相生橋の南側になり、当時の相生橋はT字ではなく、まず、原爆ドーム前から平和公園の北端に橋がかかり、そこから本川町にもう一本の橋がかかっていました。その時の橋の場所がここで、親柱がそのままの姿で残されています。