1981年、広島市が元安川の美化工事をはじめた頃に、元安川の河床には、まだ、原爆の熱線で表面が溶けた瓦がたくさん埋まっていました。そのことを知った高校生が、瓦の発掘と平和への決意のために、この碑の建設を呼びかけました。
この碑には、彼らが発掘した原爆瓦がはめこまれ、また、ブロンズ像は、「戻れない風」をテーマに昇天する犠牲者の魂が表現されています。これは、比治山女子短大の芥川永教授の作品です。
碑文は、被爆二世の蔵田順子さん作のものを原案に、碑文作定委員会によって作成されました。
碑文:
「天が まっかに
燃えたとき
わたしの からだは
とかされた
ヒロシマの叫びを
ともに 世界の人よ」
建立:
1982年8月5日